+唄音+
…なんだろう。
…なにか。
なにか、音が聴こえる。
かすかな…風に紛れて…耳を澄ましても途切れてしまうほどの。
風の音に負けてしまうほどの。
懐かしく、愛おしい、それは。
…そう、だ。
ああ、これは…―――。
「…これは」
心の底から、驚く、という感情に久しく…というよりも
そういった経験を持たないと言った方が余程確実に表現出来るであろう
この自分が、それこそ腕を引き千切られたとしても
声を出さぬように修練を重ねてきた自分が
思わず声を出して呟いてしまった。
「―――ぅわ! わわっ!」
「…?」
一族の人間らしからぬ、明らかに驚きを表に出した声を背中で聞いて、
その声が、普段なら決して人前でそんな声を出す事は
ありえない人物であるから、余計に違和感を感じる。
だが、振り向く事はしなかった。
そんな事をしなくても、自分の後ろに
誰が立っているのかなど分かりきっている。
「…これは?」
先ほど自分が呟いた言葉を、
もう一度今度は疑問系に変えてしっかりと声に出す。
「……ッ」
「?」
手どころか、顔まで泥で真っ黒にして、腕一杯に
白い花を根元ごとたくさん抱えて立っていた。
いつもは少し冷たい眼差しを持ち、きびきびした口調の青年は、
今はその顔を紅に染めて、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしている。
それが年よりもずっと幼く見えて、微笑みを誘ったのだが
ここで笑ったりすればどういう事になるかわかってもいたので
ひとまず、黙ってその様子を見守った。
と、その後ろから、ひょいと別の男が顔を出す。
「―――ありゃりゃ。こりゃあ…」
少しクセのある髪の毛をうなじで簡単にまとめた男が、
人好きのする笑顔を浮かべて、まだ赤面している青年の肩を軽く叩く。
「一番知られたくない相手に、知られちまったなあ?」
「寿々加! 余計なことを言うな!」
「せっかく、お頭にも気づかれずにいたってのに」
「うっ、うるさいッ!!」
蒼い目の青年は紅色の頬を更に赤くして、
俯いたまま反論してはいるが、その口調はいまいち弱い。
そんな比奈伎の様子を一通り見守ったあと、
あっはは、と、声高らかに笑ってぽんっ、と肩を叩いた。
「ま、佐久弥で良かったじゃねえか。
これが夜紫乃たちだったら一瞬の後に全員に知られちまってるぜ?」
寿々加のいう事は全くもって道理である。
「佐久弥に隠せてるなら、里中に隠せてるのと同じ事だって言ってな、
頑張って気を使ってたらしいぜ、バレないように」
俺はたまたま昼寝に来たら見つけちまったんだけどな、と
楽しそうにそういいながら、寿々加は休むことなく手を動かしている。
花を植えているのだ。
「―――これは?」
「墓だよ」
いつもとまるで変わらない、軽薄とも思えるような
明るい声音で言葉を返してくる。
だが寿々加を知る者ならば、それが決して
ふざけた軽い様子の声音ではないという事くらい分かる。
「…墓」
「ああ」
それは小さな窪地のような目立たない土地だった。
小さな白い花を、何処か別の所から掘り返してきたのだろう。
子どものように顔を真っ黒にして、一生懸命小さな花を
一株ずつ等間隔にして手で植えていく。
元来あまり器用ではない性質なので、
その作業はあまり手際が良いとは言えなかった。
佐久弥は、何も言わず隣にしゃがみこみ、それを手伝った。
相手も、何も言わずに作業を続ける。
今は数少ないそれは、やがて根付いて、春になればたくさんの
花を一面に開かせるだろう。
良く見れば、花は一箇所だけに留まらず、奥の方にも違う種類の、
だがこの辺りでよく見かける種類の花が咲き乱れている。
おそらく、幾日もかけて植え替えていたのだろう。
「戦が終わった次の日になると、必ずこうして植えに来てたんだと」
「…どうせ自己満足だって言うのは分かってる」
小さな声で目の前の青年がポツリと呟いた。
「謝罪のつもりも懺悔のつもりも無い。ただ、何かしたかっただけだ」
「うん」
佐久弥はただ小さく頷いた。
しばらくして、比奈伎が他所から運んできた花を全て植え終わると、
寿々加と比奈伎が何やらこっそりと押し問答を繰り広げている。
「? なに?」
「いつもの、やれって」
「いや、しかし…」
「…?」
「佐久弥がいるから照れてんだよな」
「! そういうわけじゃないっ!」
「分かってる分かってる、いないフリするからさ。目一杯、気配、消すから」
「…それは余計気になるんだが」
「…??」
佐久弥が何かを聞こうとする前に、寿々加に素早く腕をとられる。
「寿々加?」
相手がチラッと目配せをしたのが分かったので、
佐久弥はとりあえず大人しくそれに従った。
「しょうがねえ、今日は諦めるけどな、今度絶対、だぞ!」
「うっうるさいっ! 今度も無い!」
真っ赤な顔で叫ぶ比奈伎に、おー怖い、など少しも怖いと思っていない
様子で呟くと、寿々加は佐久弥を連れ立ってそのまま里に戻った。
…正確には、里に戻る途中で足を止めた。
「帰るんじゃないの?」
「帰る前にちょっとだけ、な」
こっちこっち、と寿々加に手招きされてついていくと、
そのあたりで一番背の高い木に招かれた。
寿々加は佐久弥の到着を待たずに、木にするすると上っていく。
高い木の半ばまで進んだ所で、太目の枝に腰を下ろした。
「ここは風下だからな、ここなら、比奈伎にバレずに済む」
時をおかずにすぐに木の上の寿々加に追いつき、
佐久弥も手ごろな枝に腰をかける。
「何があるの?」
「良いから良いから」
「?」
「お、ちょうど良い具合に風も流れてきたな」
一陣の風がやわらかく吹いた。
「―――これ」
その風に音が乗る。
「良い声だろ。…たまに、外すけどな」
…ああ。そうだったんだ。
あの音は。
囁きにも似た切なる調べが、風に揺れる―――
終。
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