+雪桜 -後日談-+
空を、見上げる様になったのは…
ずっとずっと小さな頃。
「幼かったよ、あの時だけは……」
握り締める事に慣れていたはずの小刀ですら
その場に落として逃げ出すほど…
我はちっぽけな存在だった。
森の中をただひたすら走り抜けていく中。
唇の震えだけが止まらなかった。
逃げて、逃げて、怖い……怖い!と頭の中で散々叫んで
ハッと手のそれに気付いて、思わず悲鳴を上げた。
瞬間、木の根元に引っかかって我は情けなく地面に転がった。
震える身体で起き上がろうと、地面に生えた草を握り締めて
我は強く、唇を噛み締めた。
……泣いちゃいけない。
泣いては…駄目だ。
そんなに弱い存在でいちゃ…いけない。
我慢するんだ。
けれど、掌の真っ赤でドロドロとした感触に気づく度、目にする度。
その決心は粉々に砕かれる。
頭の中はもうそれだけでグチャグチャで、訳が分からなくなった。
我はね……
その日、初めて人を殺めた。
初めて、目の前で人が倒れる瞬間を見た。
斬り付けたそこから噴出した血飛沫が顔について、
…初めて、気持ちが悪いと。
怖いと、思った。
そう感じてしまえば、もうその場に居ることが出来なくて
我は小刀を放り出して一目散に逃げ出した。
刺された瞬間のあの目の前にあった相手の顔を思い出すと今も、怖い。
でも、……それでも我は泣けなかった。
泣いてしまえば、情けない自分をその場に晒す様で嫌だったんだよ。
……いつだって強い自分でありたかった。
でも……
そんな決意を砕く様に、
ちっぽけな我の元に空から零れ落ちてきたのは大きな雫だった。
ぽつぽつ、と降り注ぐそれはやがていくつもの小さな粒となって
優しく我に向かって降り注ぐ。
零れ落ちる音はまるで、静かで穏やかな曲の様だった。
そうしてふと掌を見れば、
そこにあったはずの汚れた血はすっかり洗い流されていて
……それに気付いたら、何故か涙が零れたんだ。
「……その時は分からなかったけれど、今なら何となく分かるよ。
我は多分……嬉しかったんだと思う」
ずっとずっと消えないであろうと思っていたそれを、空が消してくれたから。
真っ赤な真っ赤な罪にも思えた血。
見ていて恐怖すらしたそれを空は……洗い流してくれたから。
「あの時は、人を殺めたことなど一度だってなかったから…
きっと余計にそう思えたのだろうね」
けれど今も人を殺した時の感触や、体に染み付いた時のあの感じは
まだ消えないけれど……
でも、それでも、その中で感じた恐怖や弱さは
青い空が気まぐれに零した雫によって、洗い流すことが出来た。
だから、我はそれから戦に参加する度。
ああして雨が降る度に空に……懺悔をする様になったのだよ。
「でもね、今は……」
そう言って振り返った先には
少し不思議そうに首を傾げてこちらを見る、佐久弥の姿。
それに我は優しく微笑みかけた。
「今は、空以外にもあると気付いたんだ」
「…それは、何?」
言われたそれには小さく笑うだけで言わなかった。
お前にだけは教えてあげない。
意地悪く微笑んで小さな声でそう言えば
相手はそれに少しだけ驚いたけど、でもそれも一瞬で。
次の瞬間には何も言わずに静かに微笑を返した。
それは、きっと……
終。
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