+夢神楽・2+
(※こちらは、【1】の続き、とお考え下さいませ。
【1】の不幸な、先の見えない終わり方が気に入っていらっしゃる方は
読まない方が良いやもです?(笑))
「―――その名は呼ぶなと、言った」
緋色に。
緋色に、世界が染まる。
―――ああ。
これは、夢だ。
こんな事は―――だれか
誰か、『夢だよ』と。
この悪夢から、我を起こしておくれ―――
―――夢を見た。
それは、緋色の。
そう…『夢』を。
「…み。…かがみ」
…逃げなければ。そう思うのに、体が―――
「各務」
「あ…」
「大丈夫?」
…何だ、これは…?
「あ…!」
口を利こうとして、思わず激しくむせ返った。
「ひとまず、横になった方が良い」
「いや、その前に水を吐かせろ。佐久弥、手伝ってくれ」
耳元でそんな会話が聞こえてくると、膝を突いた背中を、
どんどん、と強く拳で叩かれる。
肺から喉元に何かが競り上がってきて、思わず無理矢理飲み込もうとすると
身体が激しくそれに抵抗してくる。
「我慢するな、吐き出した方が楽になれる。あわせて、息を吐くんだ」
そう言うと、まるで力の入らない我の身体を支えるようにして腕を回し、
もう一度、どんどん、と背中を叩く。
今度は込み上げてくる物に抵抗せずに、大きく息を吐き出すようにして
思い切り水を吐き出した。
見れば、着衣も水を吸い込んでずぶりと重たくなっている。
それが分かると、自分の身体がひどく体温を失っている事に気づく。
背中を丸めて思い切り咳き込むと、その背をそっとさする手を感じた。
先ほど背を叩いた大きな拳とは違う、細く優しい掌。
「…落ち着いて。もう、大丈夫だから。大丈夫」
静かに何度も同じ言葉を繰り返し、何度も背をさするその手の暖かさに、
やがて、冷えた身体に温度が戻ってくる気がした。
「―――お頭。各務が」
その静かな声が、我の後ろに向かって小さく声をかけた。
「各務!」
自らの手の先も見えぬほどの暗闇の中で。
その気配が、その存在が、闇の中で際立って
まるで光を射すかというほどの強烈な印象で姿を現した。
……ああ。
いったい誰が、この人の事を間違えようか。
我が唯一、上に立つ人間として認めた少女―――我の、ただ一人の頭領。
まるで炎のような赤い髪をひどく乱したまま、我の真向かいに膝を突く。
真摯な眼差しが判別出来るほどに間近に寄ると、
その右手を我の頬に、そっと当てた。
「…各務」
そっと、押し殺すように名を呼ぶ。
目の前にいる人が信じられなくて、我は瞬きをすら、する事が出来なかった。
「……お頭…?」
「ああ」
「お頭…」
「…ああ。そうだ」
「お頭」
「そうだ。…各務。お前が無事で良かった」
それだけを呟くと、我を思い切り抱きしめる。
まだわずかに血の匂いの残る右肩に顔を埋める形で、我は力を抜いた。
我を抱きしめる力は緩む事なく、だが優しさを込めて
しっかりと我の背を支え返す。
何かが堰を切ってあふれ出すのを、抑える事は出来なかった。
…本当は、とすまなそうに苦笑する。
一刻でも早く温めたほうが良いんだけどさ。見つかっちまうから、
火を起こせなくてごめんな。
そう我に声をかけると、そのまま走り去っていくその後姿は寿々加。
大丈夫?と不安げな眼差しで、我の手をそっと握ってくれるのは瀬比呂と彩登。
夜紫乃と伊織は勇ましい戦装束のまま、我の姿を認めると
大きく安堵したように息を吐き出して、行って来るね、と駆け出した。
草を敷いたからこちらに横になってください。
睦月が小さな手で、我をそこへ案内してくれる。
背中、痛むか? 思い切り叩いてすまん―――そう言って、
少しでも暖かくした方が良いと、自らの着物を我にかけてくれたのは千波流。
とりあえず何か口に入れた方が良いと、木の実と薬草を素早くすり潰し
それを水に溶いて手渡すのは羽霧。
珠菜は、簡単にですけれどと断りを入れて、
我の濡れて解けた髪を結い上げてくれた。それだけで、人心地ついた気がする。
そして。
そんな我に、ずっと腕を貸し、支え続けてくれるのは佐久弥。
すまぬな、と声をかけると、いつもの優しい微笑をただ黙って返すだけ。
それでも我は何よりもほっとした。
ほっと安堵した所で。
お頭が、目の前に腰を下ろす。
「各務、何処か傷むか?」
「いや…大事はないよ、大丈夫だ」
今度こそちゃんと笑ってそう返すと、お頭はそうか、と微笑む。
「お頭」
「うん?」
「我がいない間に―――何があったのだ?」
「―――」
お頭の瞳に翳りが走る。
ちくりと、棘が胸に刺さった気がした。
…ああ。
あの、緋色の夢。
あれは夢では…なかったというのか―――
「各務。落ち着いて、聞いて」
斜め後ろから、佐久弥がそっと我に声をかける。
自分でも思った以上に緊張をしていたのだろう。
その声を聞いて、ふと、息が抜けた。
「今から一刻くらい前、私が各務を見つけたんだ」
「我は―――何処にいたのだ?」
「この先に、大きな川があってね。その、川べりに倒れていた」
「川…」
いったい、いつ落ちたというのか。
まるで記憶が無い。
それに、我は…そうだ。
あの時―――
『その名は、呼ぶなと言った―――』
そうだ。
我は―――
「我は、刺されたはずだ。目の前に、多くの血が飛び散って…
鈍い痛みを、感じて―――」
鈍い、痛み―――そこまで思い出しかけて、はっとする。
「…刺されたのは、胸だったはずだ―――それなら…」
今、ここにこうして生きていられるはずが無い。
やはり、あれは夢だったのか…だが、身体のあちこちに残る痛みが、
あれは夢ではなく、現実だったのだと思い出させる。
頭の中が混乱しかけて、思わずお頭を振り仰いだ。
お頭は小さく頷いて、我の喉元に手を伸ばし、そっとそこに触れる。
「胸を、刺されたのか?」
「…あ、あ…そのはず…なんだ」
「そうか。血は?」
「目の前に、飛び散って―――」
言いながら、自分でも胸の少し上、喉よりも少し下を押さえる。
…そうだ。ここを、刺されたはずだ―――。
だが、…あるはずの傷も無いどころか、痛みを…感じない。
むしろ後頭部や首の後ろ、川に流されたときに打ったのか、
手足や腰などの方が、余程痛みを訴えていた。
呆然とする我の前で、お頭は、口端をぎゅっと吊り上げる。
強い微笑み。
見るものを力づける、我の一番好きなお頭の顔―――
「…そうか。佐久弥」
「うん」
「…どういう、事だ…」
しぼり出すように尋ねた我に、お頭は再度微笑んだ。
横を見れば、佐久弥も微笑んでいる。
「各務。大丈夫だ」
力強く、お頭はそう告げた。
「大丈夫―――」
「来たよ!」
鋭い夜紫乃の声が我らの耳に届いた。
一瞬にして、目の前のお頭もすぐ隣の佐久弥も、気配を変え戦闘態勢に入る。
我もそれに習おうとするが、未だ身体中に力が入るような状態ではなかった。
それが口惜しくて、ぎゅっと歯を噛み締める。
トントン、と軽く肩を叩かれ顔を上げると、優しい微笑みはそのままに
強い気配を纏った佐久弥が、正面を見たまま唇を動かした。
『大丈夫』
…大丈夫、と―――。
―――火の手が上がった。
「合図だ!」
千波流の声と共に、ざ、と各方面で気配が移動するのを感じた。
一瞬にして、ここに居たはずのお頭と佐久弥もその気配を消す。
…ああ、待つだけというのは…こんなにも心に悪い。
そんな事を今更ながら自覚しながら、疲れ果てた感覚を研ぎ澄まして
出来る限り、みなの動きを察知しようと試みる。
―――ふと、何かを感じた。
それは感覚で言えば極微細な物で、下手をすれば逃していたかもしれない。
慎重に体をずらし、腕に仕込んだ銀線を確認した。
それが姿を現す寸前に、腕から銀の細い光が波を打つ。
「!!」
「…先ほどは不覚を取ったが、今度は…簡単には行かぬぞ!」
その叫びに応えるように暗がりから飛び出したのは―――予想通り、
狐の面をつけた一人の男だった。
敵だ。
袂に縫い隠してあった小刀を握り、先ほどまでの身体の重たさを
忘れたかのような俊敏な動きで、相手の喉を狙った。
だが相手もかなりの手練である事はとうに承知済みである。
思ったとおり、その小刀を腕に仕込んだ極薄の篭手のような物で
弾き返してきた。高い音を立てて小刀が地面に突き刺さる。
我はあっさりとその小刀を諦め、それと同時に
腕に仕込んだ極細の針を間髪入れずに飛来させる。
もちろんそれはただの針ではなく、かすれば一瞬で即死出来る、
強力な毒薬を仕込ませた、毒針である。
それは相手も察したのだろう、一瞬、俄かに焦った様子を見せたが、
冷静にその針を全て叩き落した。
我は舌打ちを隠さず、再びその針を飛来させようとして構え、
向こうもやや身をかがめ、腰に刺した刀を抜刀した。
その瞬間、目の前に飛び込んできたのは。
「―――お頭ッ!?」
「―――!?」
すぐ目の前に朱い髪が翻る。
驚いたのは向こうも同じであったが、我は思わず悲鳴のような叫びを上げ、
全身の筋力と意思を総動員させて動きを無理矢理留めた。
急激に動きを変えたために、腕と足の筋が悲鳴を上げたが構わなかった。
思わず目を閉じて、間を空けず次いで開けたその時には、
毒針を飛来させようとした右腕をしっかりと掴まれている。
その腕を見れば、まだ毒針は己の手を放れてはいなかった。
彼女の凛とした横顔を視界に収め、
お頭に向かって放つような真似だけはしなかったようだと、
その事にほっと安堵して、目の前の敵の存在を忘れ、息をついた。
お頭は、右腕で我の腕をつかみ、左は刀を構えていた。
それは敵の刀を食い止める物であったのだろうが、
我は、それを間近で見て思わず声を上げた。
刃と刃が、触れ合うその寸前で刀が止められている。
お頭は、明らかに―――この男が自分に刀が当たるその寸前に
刃を止める事が出来ると確信したからこそ、間に飛び込んだのだ。
これが生半な技量ではそうは行かないと言う事を知っている。
下手な相手であれば、こんな体勢では、お頭は
受け止めようとした刀諸共、切り裂かれていたに違いないのだ。
あのときに見た抜刀の速さは並みの比ではなかった。
それを無理矢理留めたために、その男の右腕には筋が浮き上がり、
力を受け流し損ねたせいで異常な負荷がかかったのだろう、
刀を握った拳は色が変わるほど力が込められ、ぶるぶると震えている。
そこまでして。
「何故―――刀を止めたのだ…」
我は、目の前の光景が信じられなくて、思わず声に出して呟いてしまった。
お頭は我を振り向き―――優しく微笑むと、
今度は敵に向き合い…なんと、声をかけた。
「…何だ、大したもんじゃないか」
そのとき。
「―――この馬鹿!!」
語尾を震わせて、敵が叫んだ。
「死ぬ気かお前はッ!!」
明らかに怒気を含んで、…おまけに良く見れば、
怒りのあまりだろうか、肩まで震えている。
「死ぬつもりは無いさ。…お前だって…私を殺す気なんてないだろう?
こうしてちゃんと刀を止めてくれたじゃないか」
「当たり前だッ!!」
思わずお頭の顔を見つめた我に、
お頭は気のせいではない、楽しげに刀を示す。
「?」
「良く見ろ、…峰だろ」
「…!」
男は抜刀したその瞬間、あの速さで抜いた刀を持ち替えていたと言うのか。
いや、そんなことよりも…その刀ははじめは我を狙っていたはずであった。
それならば、何故峰打ちにする必要があったというのか―――
必死に考えを片付けようとする我の目の前で、
ようやく腕を放したお頭と、刀を鞘にしまった男が会話を続けた。
「お前にこんなに演技力があるとは思わなかったぞ」
「…俺だってこんなに通用するとは思ってなかった」
ぼそりと呟いて、外した狐面のその下は。
眉間にしわを寄せたその表情は。
「ご苦労だったな、―――比奈伎」
…比奈伎。
我を、…仲間を裏切り、我を「殺した」張本人。
東風の里にて『卓麻』と名乗り、
鬼火の里では比奈伎と呼ばれていた、かつての仲間。
「貴様…っ、何故ここに…!!」
その瞬間を思い出して思わず目の前が揺らぎ、
いきり立って再び毒針を放とうとしたとき、お頭に抑えられた。
「お頭、止めるな!」
「落ち着け各務」
「…相当嫌われたようだな」
その後ろからのそりと現れた大きな影が呟く。
既に面はつけておらず、だがその顔はやはり、
裏切り者の片割れ―――里では亜夏刃と呼ばれていた男だった。
「それだけ衝撃的だったという事だろう」
なんと、その言葉に同意したのは目の前のお頭のほうである。
「お頭! 何故…」
「各務を欺く事さえ出来れば、何とかなると思ったのは…
間違いではなかったようだな」
「佐久弥にまで来られてしまったなら、通じなかっただろうが」
ついていけない我を置き去りにし、話を続けながら
亜夏刃―――東風では左京と名乗った身の丈の大きな男は、
肩に抱えていた何かを、どさり、と落とす。
それは重たい音を立てて地面に転がった。
「!」
それは、一人の人間だった、否、だったもの、だった。
倒れているその屍から思わず目をそらしてしまう。
顔を背けた我を、お頭が支えた。
この着物には見覚えがあった。
東風の里の会合にて、我のすぐそばに座っていた、小柄な男の物。
誰も彼も、鬼火の里のものに似ていて、確かめるのが怖かった。
「落ち着いて良く見てみろ、各務。これが、私たちの仲間か?」
「あ…」
促されて改めて良く良く見やれば、月明かりにその屍の顔が白く浮き出る。
我は、大きく息を呑んだ。
年恰好は似ていたものの、それは、我が似ている、
と感じた浅葱色の髪を持つ少年とは、…そう、全くの別人だったのだ。
「では…」
「…お頭、やっぱりあったよ」
「そうか」
暗闇から滑り出るようにその場に姿を現した佐久弥は、
なにやら小さな容れ物のような物を片手に持っている。
鈍さからようやく立ち直りかけていた感覚に、何か、訴える物があった。
「これは?」
「香だよ」
「香?」
気を静めてみれば、確かに、かすかに何か匂う。
「ああ。佐久弥の見立てによれば―――
いわゆる、幻覚作用をもたらす物らしいんだ」
「幻覚…」
「東風の会合でも焚かれていたようだな。亜夏刃と比奈伎がいなければ、
私もあそこから抜け出すのは容易ではなかった」
混乱しかけた頭を整理しようと、懸命にお頭の言葉を拾う。
「東風の連中は、この香を普段から利用し士気を高めていたようだ。
だが初めて吸うものにとっては、結構キツイ物らしい」
「耐性が出来ていなければ、言葉による指示だけで、
その通りの物を目の前に見てしまう、それほど強い…薬だよ」
…では、あれは。
「お前を―――刺したときは、それを逆に利用させてもらった」
卓麻が―――否、比奈伎が俯いたまま呟けば、隣で亜夏刃が静かに頷く。
「自分と比奈伎には、こういった香物は効かないからな」
…そうだった。
自分たちはそれぞれが、ほとんど全てを専門的に学び習得するが、
その中でもその真髄にまで至る事は、それぞれが分担して行っているのだ。
我が毒草に詳しく、佐久弥が香物に詳しいのと同じように、
亜夏刃と比奈伎は、それぞれに対する耐久性を里でも随一としている。
…では、あれは。
「―――まさか、耐性の無い者にとってここまで影響があるとは…
思っていなかったんだ」
やや自嘲気味に呟き、―――そして。
「…悪かった」
ふい、と顔をそらし、気まずそうに詫びの言葉を呟くその姿は。
それから一時半ほども経ったころだろうか。
あらかた東風の者を討ち取ったとして、千波流をはじめとし
夜紫乃や伊織が元々、我の横になっていた場所に集合する。
みなに囲まれた状態で、亜夏刃は静かに言葉を紡いだ。
「巧みに言葉で誘導し、各務に「自分は刺された」と思い込ませたかった」
「何故…」
数々の修羅場をくぐり抜けて来たはずの我だが、
余程自分への衝撃が大きかったのだと自覚する。
そのせいか、先ほどから疑問の言葉しか出てこない。
「各務に気を失くして欲しかったからな。あの時―――自分の後ろに、
東風の人間が一人、様子を伺っていたんだ」
「そいつにはお前を殺したように見せ掛け、
お前には、自分は殺されたかのように思い込ませたかった。
だから、小柄でお前の喉を突いたんだが…」
その言葉にみなは思い切り眉をしかめ、
げえ、と寿々加が自分の喉もとを抑える。
そういえば、最初川から救い出されたとき、上手く呼吸が出来なかった。
「もっと他にやりようがあるんじゃない? 首筋を打つとかさあ」
「喉を突く、ってお前…それ、いくら小柄でも、相当痛むぞ?」
「ていうか立派な急所じゃねえか。下手したらホントに死ぬぞ」
「だから、悪かったと言ってるだろ。あの時は、俺たちにも
余裕は無かったんだ。喉と言っても急所は外したし…」
「更に言えば、川に投げ込む寸前に念を入れて、
首に手刀を入れたのは自分なんだが…これも一応、加減した。はずだ」
それを聞いて、がばっと伊織が立ち上がる。
「はあ!? 川に投げ込んだの、あんたたちなわけ!?」
「着物が吸い込んだ分と各務が直に吸い込んだ分、香の効果を
同時に消すためには―――川に放り込むのが一番だったんだ」
「東風の連中には、死体を始末するといって…目の前で川に落とした」
大の男が二人そろって、肩をそろえて小さく小さくなっている。
「…では、あれは…全て芝居だったと言うのか?」
「…そういうことだな」
先ほど、無理矢理動きを抑えた右腕は、
痛みは無いが、少しだけしびれているような感じがする。
言われてみれば、川で打ったらしい身体のあちこちよりも、
首や喉が痛いような気がしてきた。
「だが、おかげで、各務に追尾はかからなかったんだ」
「そうだね、それに…ちょっと乱暴かもしれないけれど、
この手の薬の効果を消すには、それが一番手っ取り早い」
「おまけに、鬼火の一人を殺した事で、自らが東風に疑われる事もなくなるか。
これぞ、一石二鳥…いや、一石四鳥ってやつだな」
お頭と佐久弥の言葉にうんうん、と頷くのは千波流。
小さくなったままの二人は、みなに促されるまま
東風の里でのやり取りを説明していく。
「お頭を人質として東風に預けるだろうと言う事は、予想していたんだ」
「そうなのか? 私はそこまで考えてなかったな。
各務も豪胆な事をする、と感心したぞ? それに、
お前たちが成り代わって、東風にいるとは思ってもみなかったし」
「人質としなかったら、潜入しておいてどうするつもりだったんだ」
「そうなればそれはそれで、内から潰すしかないだろう」
「私は各務を川に放り込む所は見なかったんだが、
ぐったりした各務を運んでいる亜夏刃を見たときは、正直驚いたぞ」
…と、ちらとも驚いた様子を感じさせない言葉を綴るのはお頭。
「各務を始末してからは東風の方も本格的に安心したらしくてな。
お頭への見張りもいい加減なもので…」
「その隙を突いて、お頭を外へ逃がしてみなと合流させて」
「珠菜が斥候で出てくれていたからな。合流は早かったぞ。
まあ、各務がそのすぐ後に、まさか川で見つかるとは思わなかったがな」
我と同様の、否、頭領である分、
彼らの姿を敵の里で見たときのその心情は計り知れないだろう。
だが、衝撃を受けたはずのお頭は、けろりと笑っている。
右肩に受けた傷すらも、無かったかのような素振りだ。
香の効果を借りたとは言え。
…借りたとは言え。
「―――亜夏刃。比奈伎」
「…な、何だ」
「ここは、助けてくれてありがとう、と礼を言うべき場面だと、我は思う」
「…」
「思う、が」
「…思う、が…?」
…疑ってすまなかった、とは言いたくなかった。
お頭のように彼らを信じる事の出来なかった我を、情けなく思っていた。
だがそんな我だからこそ、欺く一番の対象にしたのだと頭では分かっている。
正直、心中は複雑な思いでいっぱいだった。
だが、これだけは伝えたい。
心持ち居住まいを正した二人に向かって、
我は特上の微笑みを乗せて、出来る限り優しい声音で囁いた。
「我の大切な人を護ってくれて、感謝する」
二人は一瞬考え込むような素振りを見せて―――静かに、頷いた。
「―――さて、帰ろうか」
「でも…里は焼けちゃったよ? 朱音さま…」
小さく寂しそうに呟く彩登の頭を優しくなでて、朱音が笑う。
「焼け跡でも、また小屋は建てれば良い。
私にとっては、お前たちのいる場所が私の里だ。
お前たちもそうだろう?」
「―――! うんっ!!」
嬉しそうに年少組が頷けば、みな、意気揚々と立ち上がり、
里に向けて歩き出す。
「さーて、これから忙しくなるな!」
明るい千波流の声に、みながそれぞれに頷いた。
行く先はちょうど日が沈み始め、辺りを紅色に染め上げている。
「さあ、私たちの里へ帰ろう」
お頭の髪を風が揺らした。
それは夕陽を受けて、まるで焔のように見える。
我は、それを目を細めて見つめた。
「…痛ッ」
「?」
突如あがった小さな悲鳴に驚いて振り向くと、
佐久弥がその細腕で、比奈伎の左腕を捻り上げているところだった。
他の者は先を歩いていたので、そのやり取りには気づいていない様子だ。
「放せ」
「あとでね」
「佐久弥! …各務が見てる!」
比奈伎のその言葉に、佐久弥は一瞬考える素振りを見せて、
くるりとこちらを向くと我に微笑んだ。
「各務、先へ行っていて」
静かな笑顔で促されて、我は再び歩み始めるが、
そのとき、ほんの僅かにだけ振り向いてみた。
遠目ではっきりとはしなかったが、
比奈伎は、左腕に怪我を負っているようだった。
先を歩く仲間の姿を目の端で捉えながらぼんやりしていると、
ふと気づくと、隣に亜夏刃が並んで歩いていた。
「…自分の用意した血を使えなくてな」
「え?」
突然かけられたその言葉に改めて亜夏刃を見やると、すぐ脇にある
亜夏刃の左腕の袖口から、僅かに血に滲んださらしが見えた。
「…亜夏刃」
高い背丈を見上げると、亜夏刃は少し頷く。
「予め用意していたんだが…すぐ後ろに貼り付けられては
そういった小細工をする暇が無かったんだ」
「では、まさか」
胸元に僅かに跡を残す赤黒い染みを見やる我に、
もう一度、亜夏刃は頷く。
「粗方水に流されたようだが…それは、比奈伎の物だ」
―――夢を見た。
それは、緋色の。
そう…『夢』を。
『―――その名は呼ぶなと、言った』
衝撃を感じたが、それは鈍痛であり、鋭利な痛みではなかった。
男はあの時、右手に刃を握り締め…それを振りかざした。
…そうだ。
我は見ていたはずだ。
男が、後ろには見えぬよう、だが我には見えるよう―――
小刀を握り締め直したのを。
刃ではなく、柄をこちらへ向けて―――刃を、握り締めたのを。
そして―――
「!」
そうだ。
鈍痛を感じたその直後―――目の前が緋色に染まり―――
痛みを意識した瞬間、ばっと音を立てたかのように
真っ赤な血が噴き出した。
だから、我は、己が刺されたと信じた。
亜夏刃のすぐ後ろで見ていた東風の者も、比奈伎が我を刺したと信じた。
それは―――比奈伎が、小柄で我の喉を突いたその瞬間、
神業とも思えるような速さで再び小刀を握り返し、己の左腕を―――
「―――!!」
そうだ。
まだ我が思い違いをして比奈伎に挑んだ時、比奈伎は刀を左に差していた。
抜刀も、右腕で行っていた。
だが、生来の彼の利き腕は―――
「東風を装う際に、入れ替わった者が右利きだったからな。仕方が無かった」
「…利き腕を、自ら刺したと言うのか!?」
「各務」
慌てて踵を返した我を、亜夏刃がやんわりと押し留める。
「自分も比奈伎も、己にそんな無様な傷は負わせない」
それに、と亜夏刃は一旦言葉を切った。
「それに自分は、各務にあの傷の事を追求して欲しくなくて、…話したんだ」
………ああ。
緋色の、夢を見た。
―――夢は夢ではなく、紛れも無い現だった。
だが、決して恐ろしくはない。
…そうだ。思い出した。
否、如何して忘れていたと言うのか。
―――世界を染めた緋色は。
我にとっての緋色は―――
夕陽はいよいよその早さを増して沈み始めた。
先を行く一族の者たちは、みな、その紅の中を悠然と歩いている。
気づかれぬようそっと隣の亜夏刃を見上げ、
そして、更に後ろを振り向き、もう一度、前を見た。
陽が沈むその時、世界は―――緋色に染まる。
総てを包み込んで、温かな色合いを保ったまま
ゆっくり、ゆっくりと闇をつれてくる。
我と、我の一族を包み込むこの緋色は…なんと美しいのだろう。
我を助けてくれた事も。
我の大事なお頭を救ってくれた事も。
彼らを信じたお頭も。
我らの帰りを待っていてくれた仲間も。
共に戦ってくれるみなも。
我が、大切に思うもの総て。
総て。
総てを緋色に染めて。
―――それは、夢のように美しい。
おわり。
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